スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私の罪・妻の功 (山城)

[8919] 私の罪・妻の功 山城 投稿日:2006/02/14 (火) 02:44
最近このサイトに出会い、自分の話をみなさんに読んで頂こうと思いました。
私は42歳、妻は35歳、名前は澄江と言います。結婚して12年を迎えますが、子宝には恵まれませんでした。 この話の始まりは4年程前になります。当時私は、前年急逝した父から受け継いだ、印刷会社を経営していました。父の存命中から経営状況は逼迫していましたが、私が受け継いでからさらに悪化し、負債が膨れあがる一方でした。
存続を諦めて、従業員達に払う物を払える状態のうちに潰してしまおうとも思ったのですが、一代で頑張った父の事を思うと、なかなか踏み切れずにいたのが先見の無さでありました。
返済に追われ、給料の支払いさえ出来ない状態に陥ってしまったのです。
その年の暮れ、とりあえず当座1000万の金を用意しなければ、利息の支払いから給料の支払いまで滞って、夜逃げどころか首を括らなければならない所まで落ちいっていました。
妻には離婚を提案しました。最悪の事態は自分一人で背負って行こうと考えたのですが、妻はどこまで堕ちても二人で頑張ろうと拒否してくれたのです。
二人で話し合いを重ねて、当座必要な金を、私の父の弟…叔父に貸してもらう事にしました。
もっと早い段階で頼れば、と思われるかも知れませんが、叔父と父の間には以前、会社経営に関する金銭の問題で確執があり、数年絶縁状態になっていたのです。 それでも、親戚・知人を見回して、必要な金を貸せる人物はその叔父しかなく、昔は甥の私をかわいがってくれていたという思いもあり、ギリギリのその段階で叔父の元に赴いたのでした。
叔父は不動産、建設業など手広く経営し、華やかな生活を送る人でした。二度の離婚を経験し、とっかえひっかえ愛人のような女性を住まわせている…私のような地味な男とは、住む世界が違うかと思わせるような叔父です。
平日の夜だったと思います。私は妻と連れ立って、アポは取らずに叔父の家を訪問しました。
叔父は一人でした。晩酌の最中だったようで、顔を赤らめて陽気な雰囲気で玄関に出てきました。絶縁していた兄の息子である私が、夜分突然訪問してきたのです。どんな嫌な態度を取られても仕方無いと思っていました。
そんな私の予想とは反対に、叔父は私達夫婦を家の中に招き入れ歓待してくれました。一人での晩酌が寂しかったのか…私には酒の用意までしてくれて。しかし、私達夫婦はそれどころではありませんでした。
明日の生活さえ先の見えない状態です…そうでなければ、絶縁している叔父の所に金の無心になど行きません。私は勧められるままに酒を交わしながら、叔父に訪問の真相を打ち明けました。
叔父は黙って聞いていました。
その夜結局、色よい返事はもらえず、私はしこたま酔っ払い妻の運転で帰宅しました。
叔父は即答は出来ないが、かわいい甥っこ夫婦だからなんとかしてやりたい…と言ってくれ、今までの絶縁状態は解消して、相談にも乗ってくれるという事で、私と妻の携帯番号など連絡先を教えておきました。
その時の私達はそんな相談相手よりも現金が必要でした、落胆しながら帰路についたのを覚えています。
翌日、私は妻と会社にいました。倒産間際になっても仕事は山積みでした。
昼過ぎ、私の携帯に着信が入りました。見知らぬ番号だったので、債権者だと思ったのですがふいに出てしまいました。
叔父からでした。
私は債権者でない事に、軽く安堵しながら声を聞いていました。その時、私は神様の声を聞くような気持ちで携帯を握っていました。叔父は必要な金の約半額、500万をとりあえず用意したというのです。残りの手筈もついているから、まずは取りに来いと言う事でした。
いきなりそんな大金を用意してくれた叔父です。私が出向いて礼を言わなければ…と思いましたが、叔父は、お前は会社にいなければ何かと不便だろうから、妻を取りに来させれば良いと言うのでした。
妻に伝えると確かにその通り、誰が会社に来るかわからないし、私が取りに行って来るからと言ってくれました。
多少救われた気持ちで妻を見送り、私は残務処理に没頭しました。
どれくらい時間が経ったのか…夢中で仕事をしていて気付きませんでした。従業員はみんな帰宅し、外は暗くなっていました。
妻が出掛けてから5、6時間は経っていました。叔父の家は会社から30分とかからない場所にあります。タバコに火を点けながら、事故にでもあったのでは…と心配になっていました。妻の携帯に電話しても呼び出し音は鳴るものの、いっこうに出る気配がありません。心配は募り、叔父の家に電話をかけようと考えた時でした。
8時をまわろうとしていたと思います。妻が帰ってきました。
私は少し疲れた表情の妻に、コーヒーを入れてやり一息つかせてから、金を受け取りました。
遅くて心配したよ、と話すと…妻は私が違和感を覚える程、驚いた表情と「えっ?」という声を発し、すぐに疲れた笑顔を浮かべました。お金の用意にちょっと手間取ったみたいで…と言い、妻は「早く帰ろう」と席を立ったのです。私はこの時、わずかな違和感を覚えていたものの、何を疑う事も無く、現実の債務処理で頭がいっぱいでした…

私の罪・妻の功 2 (山城)

[8960] 私の罪・妻の功 2 山城 投稿日:2006/02/16 (木) 03:05
翌日、妻は前日叔父から受け取った金の振込みに朝から出ていました。
私は会社で相変わらずの残務処理に追われ、時間はお昼を回っていました。
妻の仕事も一息つく頃だろうと思って、昼飯に誘うために携帯を鳴らしました。妻はすぐに携帯に出て、振込みが終わったと、少し声をはずませています。
妻も毎日気苦労が耐えず、そんな風に「かわいいなぁ」と思うような、話し方も表情も、しばらくご無沙汰でした。
大学時代にサークルで知り合ってから、ずっと一緒でした。大学2年の時に学内のミスコンに、エントリーされた事だけが妻の唯一の自慢だそうです(あくまでもエントリーしただけなのですが…) でも、私にとっては一番かわいい女性でした。子供に恵まれなかった事もあり、妻への愛しさは昔と変わらないのです。
妻を近くのファミレスに誘いました。まだ先が真っ暗な事には変わりないのですが、とりあえずの金策ができた事で少し気持ちが楽になっていました。
お昼をだいぶ過ぎ、遅めのランチを妻ととっていました。
そこに妻の携帯が鳴り、妻は慌てた様子で「ちょっとごめん」と、出入口の方に歩いて行きます。姿は見えなくなりました。
10分くらい経ったと思います。妻が戻って来ました。心なしか、電話に立つ前より疲れた表情をしていました。私は心配になり、「どうしたの?」と声を掛けると、急に笑顔を作った妻は、叔父が残りの金を用意したから取りに来いと言っているので、私が行ってくるね…と言います。
予想以上に早く金を用意してくれた事のお礼も言わなければならないし、私が叔父の家に行くと言いましたが、妻は「あなたは会社でやる事がいっぱいでしょ?いいの、私が行くから…」と、言い終わらないうちに立ち上がり、出入口の方に向かってしまいました。
私は一人残って飲みかけのコーヒーを飲み干し、会社へ戻りました。
今から考えれば、その時点で不自然な点や、不審な点はありました。叔父から妻への直接の電話、私に有無を言わさないような態度で、一人叔父の家へ赴く妻…でも、その時は「金策」それしか考えられませんでした。
私は会社に戻り、残務処理に加えてその日の朝、急に辞表を出した従業員に代わって工場の機械も稼働させなければなりませんでした。
一段落つくと時計は夕方6時をまわっていました。私はまだ妻が帰って来ず、連絡すら無い事にやっと気付きました。
妻の携帯を鳴らします…何コールしても出る気配は無く、心配になり叔父の自宅に電話を掛けてみました。数コールの後、留守電になってしまいました。
なにかあったのか…漠然とした不安がよぎり、私は迎えに行こうと車に乗り込みました。
その時、私の携帯が鳴り妻からの着信があったのです。
「どうした!?」と問う私に、妻は「どうもしないよ…お金受け取ったから、今帰るね。先に家に帰ってて。」と、冷めたような、気の抜けたような声で答えるのでした。そんな妻の声を聞いたのは、結婚生活の中でその時が初めてだったと思います…

私の罪・妻の功 3 (山城)

[9030] 私の罪・妻の功 3 山城 投稿日:2006/02/18 (土) 04:44
妻からの電話の後、私は自宅へ帰り妻を待ちました。程なくして妻も帰ってきました。
電話での気の抜けた声そのままに、妻は疲れたような表情をしていました。「どうした?具合でも悪いのか?」と問い掛けると、妻は俯いたまま首を横に振り、「なんでもないよ…ちょっと疲れただけ。お金ね、300万円入ってる。残り200万円は明日用意するって、大事な話もあるから、あなたも一緒に取りに来てって言ってたよ。」妻は金の入った封筒を見せました。
その時はそれ以上妻の事を気に掛ける事は無く、金策と今後の自分達の身の振り方で頭がいっぱいになっていました。
翌日、午後になって私は妻と一緒に叔父の家に向かいました。相変わらずの豪邸に足を踏み入れると、妻はこの3日間通っているせいか、慣れた様子で私の前を歩き、玄関に立ちました。インターホンで妻が「澄江です。」と声を掛けると、叔父が応答し入るように促されました。
広い邸内を妻の先導で歩き、叔父がいるリビングへ向かいます。 叔父はテレビをつけて、しかし観るでもなくタバコをふかしていました。私達を部屋に迎え入れると、にこやかな笑顔を見せ、ソファーに座るように勧めてきます。
私が先に腰掛けると、叔父は妻に、「澄江、カズ(私の事です)にコーヒーでも入れてやって…」と言いました。
私はその時、漠然と違和感を覚えました。
叔父は妻の事をそれまで「澄江ちゃん」と呼んでいたはず…その時ははっきりと呼び捨てしたのです。そして、コーヒーを入れさせるという行動…金を受け取る為に、たった2日叔父の家に通っただけの妻です、それまで結婚式と法事でしか顔を合わせた事の無い二人…叔父がそんなに馴々しく接し、妻の方も戸惑う事なくキッチンに向かいコーヒーを入れている姿が、私にとってはとても不自然でした。
しかし、その時の私は何を言うでもなく、黙ってその光景を見ていたのです。 叔父からの大事な話というのは、当然私の会社の事でした。
叔父が言うには、親父の築いた会社を潰したくない気持ちは解るが、現実問題どうにもならない所まで来ている。かわいい甥っこを見捨てる事もできないから、自分の会社で私の印刷会社を、債務も含めて引き取ってやるという事でした。そして、その中で一部門として、印刷業はそのまま私がやれば良いというのです。その場でかなりの時間、妻とも話し合いました。
結局、形だけでも親父の築いた印刷業を残せて、金の苦労からも解放されるという、その叔父の申し出を受ける事にしました。
私は叔父の会社で雇われの身となり、それまでの印刷会社を縮小して管理職として居残る事になったのです。           1ヵ月程過ぎ、私の元会社が1部門として動き始めた頃、叔父からある提案がありました。
妻を本社の経理として使いたいというのです。たしかに妻は経理に明るいのですが、私の所はすでに1部門に過ぎないから、経理の人間はいらないだろうという事でした。
不安がありました…あの日の、叔父の妻に対する馴々しさ…そして元来の叔父の好色な性格…
その夜、何ヵ月かぶりに妻を抱きました。久しぶりにお互いの肌の温もりを感じ、果ててしまった後、妻に叔父からの提案を話しました。妻は、社長の命令なんだったらそうするしか無いんじゃない…と言います。私は思い切って、心の中にある漠然とした違和感をぶつけてみました。
「叔父さんと何かあったか?」そんなような事を妻に言ったと思います。
妻はあまり見せた事も無いような悲しそうな顔をして、「どういう意味…?何もあるわけないでしょ?」と呟いたきり顔を臥せ、その夜それきり口を開く事はありませんでした。

私の罪・妻の功 4 (山城)

[9041] 私の罪・妻の功 4 山城 投稿日:2006/02/18 (土) 13:40
妻が叔父の会社で経理として働き始めてしばらく経ちました。
それまで妻と二人三脚で一緒にやってきたのに、その妻が傍にいないというのは、結構寂しいものです。
時々、本社から妻が電話を掛けてきます。あくまでも仕事の話のために。
本社の経理担当として、私と喋る妻の声を聞くのは寂しい以上に、何か妻との距離感みたいな物を感じずにはいられませんでした。
帰宅時間も次第に妻の方が遅くなってきました。
叔父の接待の席に同行させられたと言って、あまり酒も飲めないのに、深夜2時くらいに帰宅する事もありました。叔父の会社は、地元で手広く建設と不動産をやっていますので、業界関係や行政の人間を接待したり、叔父自身、酒の好きな人間なのでそういう連中と飲み歩く事が頻繁にあるのです。叔父は、妻をそういう席に連れ出すようになっていました。
しかし、叔父の…社長の命令だからと言われれば、私は黙るしかありません。
ある日の酒席に、私も同席する事になりました。地元の商工会議所の連中との宴会です。
仕事を早めに切り上げ、店に着くと、叔父の車も到着した所でした。叔父と妻が降りてきます。叔父は私を見つけると、にこやかに「ごくろうさん」と声を掛けてきました。
妻は私と目が合うと、何か訴えるような表情を見せながらも、どこか他人のような雰囲気を出していました。
宴会が始まり、妻は叔父の隣に座り、私は2,3席空いた席に座ります。
女は妻しかいないため、女中のように酌をして回り、返杯を無理矢理飲まされている妻がいました。
大学時代から本当に生真面目な妻で、酒の席などにはほとんど縁の無かった妻でした。酌などするのも、叔父の会社に入って初めて経験したのではないか…という妻です。
酌をする手もぎこちなく、卑猥な冗談を言われても赤面するだけで、うまくかわす事もできません。
そんな妻に、このような思いをさせて…私は自分自身が情けなくて仕方ありませんでした。
宴会が終わり、二次会にという話になった頃、叔父が私に耳打ちしてきました。翌日の仕事の為に、私には先に帰れという事でした。その上で、女っ気が無いのは寂しいから妻はもう少し借りて行くというのです。私は妻の事が心配で、妻に酔い過ぎてるから一緒に帰ろうと促したのですが、妻は「大丈夫…」と言い、結局叔父の車に乗せられてしまいました。
私は一人帰宅しましたが、寝付けるわけも無く、妻が帰宅するまで起きていました。
深夜3時を回っていました。
妻がタクシーの運転手に抱えられながら、泥酔状態で帰宅したのです。玄関を入ると、そのまま倒れこみ寝息を立て始めました。
そんな妻の姿を見ると、怒りなどより、妻に対して申し訳なさを噛み締める自分がいました。私は妻を寝室まで抱き抱えて行き、着替えさせようと衣服を脱がせたのです。
ブラウスのボタンはだらしなく開き、裾さえもスカートから出ている状態でした。妻のそんな醜態は初めてでした。
しかし、それ以上に私を動揺させた事…妻はブラジャーもパンティも身につけていませんでした。
生真面目な妻が、下着を着けずに外出するなど考えられません。
嫌な予感が私の中を渦巻いていました…

私の罪・妻の功 5 (山城)

[9053] 私の罪・妻の功 5 山城 投稿日:2006/02/18 (土) 17:11
妻をパジャマに着替えさせ、私はそのまま一睡もできず、朝を迎えました。
会社に行く準備をしていると、叔父から電話がはいりました。
昨夜は妻に酒を飲ませすぎて、きっと二日酔いで起きられる状態じゃないだろうから、
会社は休ませていいという事でした。 そして叔父は、妻を遅くまで連れまわし、
飲ませすぎた事を冗談めかしながら、軽く詫びてきました。
私は叔父の声を聞きながら、怒りをぶつける事もできず、まして妻が下着を身に着けて
いなかった事への不信感を、口にする事もできないまま愛想笑いをして電話を切りました。
仕事をしていても、頭の中は上の空で、妻の事でいっぱいでした。
泥酔して帰宅した妻が下着を身に着けていなかった・・・その意味を考え込んでいました。
酒の席での卑猥なゲームで、下着を見せるとか、脱いでしまうとか・・・私自身も、
そんな場面に何度か立会い、楽しい思いをした事もあります。
自分の中で、せめてその程度の戯れ事であって欲しい、という願いが強くなっていました。

仕事を終え、帰宅すると妻は夕飯の支度をしていました。
その様子は、しばらく見ていなかった光景のように思えました。
会社を叔父の手に委ね、私は叔父の雇われの身となり、妻は叔父の元で、秘書のような仕事を
する生活・・・妻が私より先に帰宅している事はほとんど無くなっていました。
妻は昨夜泥酔して帰宅した事を詫び、まだフラフラするんだ、というような事を話してきました。
下着の事を問い詰めようかと思いました。
しかし、私はその事について妻に口を開く事ができませんでした。

また変わらない生活が続きました。
私は自分の職場に通い、妻は叔父のいる本社に通います。
妻からは仕事の電話が掛かってきます。そのたびに私は、言い知れぬ妻との距離感を感じ、
それは日を追うごとに大きくなっていきました。
妻の下着の一件から一ヵ月近く過ぎた頃、私は仕事で外回りをし、偶然に叔父の豪邸の前を
通りました。 今頃、本社で仕事をしているんだろうな・・・と妻の顔を思い浮かべながら、
通り過ぎようとした時でした。
叔父の家のガレージには、平日叔父が会社にいる時は、プライベートで使用している高級外車が、
1台だけ止まっているはずです。
しかし、その時ガレージには、叔父の外車と仕事用の車、その隣に小さな軽自動車が止まって
いました。
妻の車でした・・・

私の罪・妻の功 6 (山城)

[9116] 私の罪・妻の功 6 山城 投稿日:2006/02/21 (火) 23:13
偶然通りかかった叔父の家のガレージに、妻の車が止まっているのを見つけてしまった私…それまで漠然と感じていた違和感が、一気に現実味を帯びた瞬間でもありました。
叔父も妻も家の中にいるのか…もしかしたら、ゴルフか何かの接待で、車は叔父の家に止めて出かけているのではないか…そう考えるしかありませんでした。
叔父の家に入って確かめる。思えば、確かめてしまう事が恐かったのでしょう…そんな勇気は湧いてきませんでした。
私は緩めたスピードを元に戻し、外回りの仕事を続けました。 夜になり、私は誰もいない暗い家に帰宅します。自分と妻の分の夕飯を作り、妻の分にはラップを掛けておいて、一人食事を摂る。ほとんど毎日がそんな生活になっていました。
夜9時をまわった頃、妻が帰宅しました。
「ごめんね。急に会議に呼ばれちゃって…」妻は、私より帰宅が遅くなる事を、そのたびに必ず謝ってくれました。
私は妻の夕飯を温め直してやりながら、質問してみました。妻の車が、叔父の家に置いてあった事は事実ですから、どこか接待にでも連れ出されていた…そんな答えを期待していました。 「今日は仕事疲れた?どっか行ったりしたの?」
問い掛ける私に妻は、「ううん。いつもと一緒だよ。デスクで数字とにらめっこ…どうして?」
嘘をつかれました…

もちろん、叔父と妻に、何かあるというのを目にしたわけではないし…でも、もし何かあっても現状では仕方無いのかな…と、そんな考えにも陥っていました。
結局、確かな事実を目の当たりにする事も無く、ただ叔父と妻の関係に対する、不信感のような物を募らせながら、月日だけが流れていきました。 叔父に雇ってもらう身となり、妻が叔父の秘書のようになってから、約1年が経過し、今から3年前の暮れになっていました。
叔父の会社では2,3年に一度、大々的に泊まりでの忘年会を開いていました。近場の温泉に宿を取り、約30人の社員とパートさんなども一緒に参加するイベントです。
妻は当然強制参加で、私はやめておこうと思ったのですが、結局叔父に勧められて参加する事になりました。
バスの中では最後列に叔父と私の妻、それに幹部連中が陣取り、乾杯とともに酒盛りが始まっていました。私も多少顔見知りの社員と酒を交わしながら、せっかくの忘年会を楽しむ事に専念しました。
叔父は酔ってくると、まるで愛人かのように妻の肩を抱き寄せ、時々耳元に口を付けては何か囁いたりしています。妻は嫌がる素振りをしながらも、完全に拒否もできず、作り笑いを浮かべて私の視線を気にしたりもしていました。
しかしその頃、その程度の叔父と妻のじゃれ合いには、慣れてしまった自分もいました。接待や酒の席で、しばしば見せられる愛人関係のような雰囲気…
嫉妬が無いわけではありません。
でもそれ以上に、叔父に見離され、自分と妻の生活を失う事が恐かったのです。そうならない事が、妻の幸せにつながるとも思っていました。

旅館に着き、ひと休みすると次は夜の宴会が待っていました。
女子社員やパートのおばさん連中もいるので、接待の時のように妻が動かされる事は無いのですが、当たり前のように妻の席は叔父の隣でした。
その時31歳、温泉に入り少し上気した顔に、髪をアップにした妻はとても艶やかで、自分の妻ながらそそられるようでした。
実は、私と妻が夫婦だという事を特別公表していなかった為、叔父と妻の隣り合う姿を見ている社員達の中には、妻を『社長の愛人兼秘書』と見ている者も多かったのです。
その時、私の隣に座っていた男性社員も、妻の事を『妾さん』などと表現し、厭らしい誉め文句を並べていました。
宴も進み、いよいよ盛り上がってくる頃には、叔父と妻のカラオケデュエットが連発され、肩から廻された叔父の手は、明らかに妻の胸元に潜り込み、乳房をまさぐったりしていました。
私は居たたまれなくなり、何度もトイレに立ちました。
叔父と妻の、何回目かの歌が終わった頃宴会場に戻ると、叔父は妻に何か耳打ちしていました。
妻が首を横に振っているのは見えました…叔父はそれを無視するかのように、妻の肩を軽く叩いてから、一人立ち上がり宴会場から出てしまったのです。
後に残された妻は、なにか考え込んでるような表情で、心がそこに居ないかのようでした。
心配になった私が立ち上がり、妻に近寄ろうとした時。やや先に妻の方が立ち上がり宴会場から出て行ったのです。
気分でも悪いのか…そう思って後を追おうとしました。しかし隣に座っていた男性社員が呟いたのです。「いいなぁ、社長はこれからお妾さんとお楽しみかぁ…俺たちも、場所変えてハメはずしますか?」
その言葉に鳥肌が立ち、一気に血の気が引いていくのを感じました。「まさか…」その一語だけが頭の中を駆け巡って、すぐには立ち上がる事もできませんでした。
社長が中座した事で場はお開きムードになり、何人かずつのグループで二次会に繰り出す事になりました。私はその時点でやっと立ち上がる事ができ、二次会の誘いも耳に入らない状態で、叔父の部屋へと歩きだしたのです。

私の罪・妻の功 7 (山城)

[9178] 私の罪・妻の功 7 山城 投稿日:2006/02/23 (木) 17:20
叔父と妻が宴会場を出てから、すでに30分位は経過していたでしょうか。
私は叔父の部屋をめざして旅館内を歩きました。頭の中は宴会場で男性社員に言われた、
「社長と妾さんはこれからお楽しみか・・・」の言葉でいっぱいになり、押し潰されそうでした。
叔父の部屋は廊下の一番奥にあり、入り口に格子戸、その奥にさらに襖が見えます。
ほかの部屋より間口も広く、豪華な造りでした。
心臓が飛び出してしまうかと思うほど高鳴るのを感じながら、私は格子戸を静かに開けました。
周囲にはほとんど雑音が無く、遠くから時々笑い声と喋り声が聞こえる程度です。
格子戸を開け、襖に近づいて耳をつけてみました。叔父と妻の会話位は聞き取れるかと
思ったのですが、驚くほどに襖の奥は静寂に包まれていました。
もしかしたら部屋には戻っていないのか・・・そう思って立ち去りかけた時、
奥から微かな人の声と、気配が感じられたのです。
意を決して襖を小さく引きました。
そこは常夜灯が灯っているだけで誰もいない繋ぎの間のようになっていました。
その奥にさらに襖があり、それを開ければ叔父と妻がいるはずです・・・
男の低い声が、さっきより大きく聞き取れるようになりました。
内容までは聞こえないのですが、間違い無く叔父の声でしょう。
私は繋ぎの間に足を踏み入れ、奥の襖に手をかけました・・・

私の罪・妻の功 8 (山城)

[9190] 私の罪・妻の功 8 山城 投稿日:2006/02/24 (金) 01:11
襖を少しずつ開けます。
電気はついていました。
私の目の前には、布団に仰向けに横たわる叔父がいます。
襖を開けた事には気付いていないようで、私はさらに襖を引きました。
妻もいました。
叔父の股間に顔をうずめ、上下させているのは間違いようも無く、私の妻でした。
初めて見る他人の性行為…しかもパートナーは自分の妻です。厭らしい音をたてながら、必死にフェラチオしていました。
なによりも怒りと嫉妬が、私の心を支配します。
しかし、手を掛けている襖を思い切り開く勇気も無く、私は見続けました。
叔父と妻は無言のまま、かなりの時間フェラをしていました。
叔父が「やめろ」と言い、妻は顔をあげます。
そして叔父はなにやら妻の体を動かし、妻は叔父の顔に性器と肛門をあらわにして、叔父の体にまたがった状態で、またフェラを始めました。
69の体勢です。
また無言の時間が続き、しばらくすると、叔父は妻に言いました。
「澄江、自分で入れろ。」異常な事態を目の当たりにしながらも、私は食い入るように覗いていました。
妻は叔父のペニスに手をかけ、自分の体を移動して膣にあてがったのでしょう。ゆっくり腰を落として妻は大きく息を吐きました。
そして、叔父の体にまたがり激しく上下運動する、自分の妻の姿を延々見続けました。
かなり長い時間見ていたと思います。
妻は小刻みに喘ぎ声を発し、叔父は唸るように息を吐いていました。
「澄江、いきそうだ…」
叔父がつぶやくように言います。
続けて、「どうだ、旦那の存在を近くに感じながらするのは?」と、問い掛けました。
妻はただ首を横に振るのが精一杯でした。
小降りな乳房を揺らしながら、妻はかすかな声を発します。
「カズくん(私の事)の事だけは言わないで…」
叔父はその言葉を無視するように下から突き上げ、さらに妻をよつんばいにして責めました。
妻の声は少しずつ抑制がきかなくなり、部屋の外にも漏れそうな程です。
妻の尻を掴んだ叔父が言いました。
「澄江、そろそろ本当にいくぞ、今日こそは種付けするか?」薄ら笑いを浮かべています。
妻は必死で頭を横に振り、「お願い、それだけはしない約束じゃないですか…」と囁くように言いました。叔父は「まだダメか?」と笑いながら、さらに激しく、妻の体が揺さ振られるような状態で腰を動かし、勢いよく妻の膣からペニスを抜き出して、尻に放出しました。
その後、妻は何も言われないままに、叔父のペニスを口に含み、後始末までしていました。
叔父に浴衣を着せ帯を絞めおわってから、ティッシュを取り、自分の尻を拭う妻でした。

長らく読んで頂いてありがとうございます。
もしご希望があれば、この旅行の後から現在に到るまでの話も書こうかなぁと思っています。

私の罪・妻の功 9 (山城)

[9225] 私の罪・妻の功 9 山城 投稿日:2006/02/25 (土) 21:27
沢山のレスをありがとうございました。
これからまた続きを書いて行こうと思います。
旅行の話が3年前です。それから現在に至るまでの話なので長くなるかと思いますが、
おつきあい頂ければ幸いです。

叔父の会社の忘年会兼慰安旅行で、私は漠然と抱いていた叔父と妻に対する、
不信感・違和感・不安感という感情を、現実の行為として目の当たりにしました。
叔父と肉体関係を持ち、しかもそれは昨日今日始まったというような、
不自然さを感じさせるものではありませんでした。
ただ、初めて目の当たりにしたその夜の、妻の姿を見る限りでは、
決して妻が好んで叔父との性関係を持っているのでは無い・・・という印象を受けました。

私の先見の明が無いばかりに、会社を債務だらけにし、倒産・・・夜逃げか首を括る・・・
そんな状況まで陥り、ワラをも掴む思いで叔父に援助を乞いました。
叔父は借金返済のみならず会社整理までやってくれ、私は職を失う事無く、
叔父の会社に雇ってもらう身となりました。
そんな状況の中で、妻は金銭の受け取りなど私の代わりに、叔父と接触する機会が増え、
経理事務の名目ですが、実際は叔父の秘書のような仕事をするようになりました。
妻は、夫の私が言うのも手前味噌ではありますが、当時31歳になる少し手前、
ずば抜けた美人とまではいきませんが、人前に出して恥ずかしいような容姿でもありません。
その妻を、親戚の間で好色として、鼻つまみ者の扱いをされてきたような叔父に、
深く関わらせる事には不安があったのも本心です。
叔父は、二度離婚し、その原因は全て叔父の女性問題でした。
自宅とは別にマンションをいくつか持ち、愛人との多重生活を送る日々だったようです。
女は男の性のためにのみ存在する・・・私がまだ20代前半の頃、親族の集まりで、
公然とそう言い放つ叔父の言葉を何度も耳にしました。
そんな叔父です・・・甥っ子の嫁といっても、その本性を剥き出しにする可能性は
否定できませんでした。

今にして思えば、それをわかっていながら、妻を差し出してしまった・・・
妻と私の生活の為と言い訳しても、実際はそういう事になるのでしょう・・・

話を3年前の旅行の夜に戻します。
叔父と妻の性行為を覗き見した私・・・
叔父は直前まで妻の膣内を陵辱し、最後は尻に放出しました。
それを拭き取るよりも先に、妻は当たり前のように叔父のペニスを口に含み、
残った精液を搾り取るように後始末までしていました。
私とのセックスでは、一度たりともそんな行為をした事は無く、それを求める事もありません。
セックスの後は自分で拭くのが当たり前でした。
妻はそのまま叔父に浴衣を着せ、帯まで締めてやり身支度を整えてから、
やっと自分の尻と膣を拭き浴衣を着込みました。
そんな妻の姿を私は呆然と見つめていたのです。
叔父は時計に目をやり、飲み直すために旅館内のスナックへ行くと、妻に告げました。
私はそのあたりでやっと意識を取り戻したような状態になり、襖を静かに閉め立ち去りました。

一人部屋に戻り、眠ってしまおうと思っても、なかなか寝付けません。
その時、私の携帯が鳴りました。
妻からです。
電話口からは、妻の声が聞き取れない程に、カラオケの歌声と人の笑い声が聞こえてきました。
その時の私には、自分を蔑み笑っている叔父達の声のように聞こえました。
妻は、「社長があなたも誘えって・・・一階のスナックで二次会してるのよ。会社のみんな
集まってるんだけど、あなた居ないから私心配しちゃったよ・・・」
しらじらしい妻の言葉に、怒りと嫉妬で声を荒げそうになりました。
しかし結局それすらもできず、私は気分が悪いから・・・と断り、妻に一言だけ声をかけました。
「宴会の途中で居なくなったけど、どうしたの?」
私の言葉に、妻は返答を困ったようでした。
「私も気分が悪くなって・・・部屋で少し休んでたの・・・」
当然といえば当然の嘘が返って来ました。
妻のどんな返答を期待してそんな事を聞いているのか・・・私は、自分自身が情けなく、
「あんまり飲みすぎるなよ。」と声をかけ、電話を切る事しかできませんでした。

私の罪・妻の功 10 (山城)

[9314] 私の罪・妻の功 10 山城 投稿日:2006/03/02 (木) 03:43
だいぶご無沙汰して申し訳ありません。

会社の忘年会兼慰安旅行から帰り、しばらくは年末の仕事の忙しさに追われていました。
もちろん、その間も頭の中は、叔父と妻の痴態を覗き見たあの夜の事でいっぱいでした。
夜、妻と隣同士ベッドで寝ていても、なんだか自分の妻という存在ではなくなっているような…遠い距離を感じるのです。
気付くと、夫婦の営みはめっきり減っていました。
もともと性に淡泊な妻にしてみたら、叔父との行為で精一杯で…私の相手までしていられない、という事なのか…。
それとも、叔父との関係で汚れてしまった自分を、夫に抱かせたくないのか…。結局は私の妄想だけが膨らむのでした。
それでも、私が少し強く求めると応じてはくれます。年の瀬が押し迫った、ある夜でした。
私は妻のベッドに入り、久しぶりに妻の温もりと、甘い香りを味わっていました。
唇を重ね、乳房を揉んだだけで、私のペニスは爆発しそうに勃起していました。妻は乳輪が小さく、乳首とともにかなり濃い茶色をしています。
その乳首を口に含み刺激してやると、微かな息を吐き、体を反応させてくれます。
しかしそうしていても、叔父に奉仕していたあの妻の姿が浮かんでしまって…勃起が萎えてしまいそうになるのです。
なんとか頭からあの夜の事を消し去り、いざ妻に侵入しようとした時です。
妻が思わぬ言葉を吐きました。
「ねぇ、ゴム付けてしよう?」
子宝に恵まれない私達は、いつでも受精できるようにと考えて、セックスは必ず生でしていました。結婚してから、妻の膣内以外に射精した事が無い程です。
その妻が、ゴムを付けてと、ベッドの引き出しからコンドームを取り出して言うのでした。
「子作りは計画的にしていかなくちゃ…」
取ってつけたような理由を並べて、妻は私にゴムを付けさせました。
叔父は生で入れていたはず…
妻の行動にどんな意味があるのか、考えずにはいられませんでした。
このサイトについて

tsumaplay


1日に4話更新の予定です。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR